坐禅について
曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、その根本は「本来本法性 天然自性心」という言葉から始まります。つまり、「人間とは本来悟りを開いた存在である。それならば、なぜ修行をしなければならないのか…」。道元禅師様は疑問をもたれ、その答えを探しに宋の国に渡られました。
夫れ参禅は静室宜しく、飲食節あり
諸縁を放捨し、万事を休息して、
善悪を思わず、是非を管すること莫れ。
心意識の運転を停め、念想觀の測量を止めて、
作仏と図ること莫れ。豈に坐臥に拘わらんや。
〜中略〜
〜中略〜
箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。
非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。
(普勧坐禅儀)
坐禅は目的のための手段ではありません。夏の暑さに耐え、冬の寒さに耐えて坐るものでもありません。坐禅の目的は坐禅をすることだけです。
道元禅師様は、坐禅を安楽の法門と申されております。
また坐禅は、お釈迦さま、達磨大師さま、道元禅師さまをはじめ、祖師方さまの真似をすることです。
学ぶということは、真似をするということから出ておる。
一日真似をしたら一日の真似や、それで済んでしまったら。
二日真似をして、それであと真似をせなんだら、それは二日の真似。
ところが一生真似しておったら真似がほんまもんや。
(大本山永平寺第78世宮崎奕保禅師さまのお言葉)
皆さんも一緒に真似をしてみませんか?
(普勧坐禅儀)
坐禅は目的のための手段ではありません。夏の暑さに耐え、冬の寒さに耐えて坐るものでもありません。坐禅の目的は坐禅をすることだけです。
道元禅師様は、坐禅を安楽の法門と申されております。
また坐禅は、お釈迦さま、達磨大師さま、道元禅師さまをはじめ、祖師方さまの真似をすることです。
学ぶということは、真似をするということから出ておる。
一日真似をしたら一日の真似や、それで済んでしまったら。
二日真似をして、それであと真似をせなんだら、それは二日の真似。
ところが一生真似しておったら真似がほんまもんや。
(大本山永平寺第78世宮崎奕保禅師さまのお言葉)
皆さんも一緒に真似をしてみませんか?
向富山 蔵前院
〒407-0024
山梨県韮崎市中央町6−8
☎︎ 0551-22-0294
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